上吉田地区等では、諏訪神社に関連した火祭りの起源伝説が伝えられています。
長野県の諏訪大社では諏訪明神が蛇体(じゃたい)となって現れるとされますが、上吉田でも蛇に関する伝承があります。火祭の神輿は神社を発って上吉田の上宿から下宿に下りて行きますが、このとき神輿とともに白い蛇神(へびがみ)や竜が上吉田の街を上から下へと下って行くといわれます。そのため、御師(おし)の家では、火祭り当日の朝に、屋敷地内に流れる川を清掃し、蛇神の通りを迎えます。これを「白蛇様(しろへびさま)のお下り」といいます。火祭の時は白い蛇が東の川を下り、黒い蛇が西の川を上るから、祭りの時には川を使ったり汚してはいけないといわれています。
また、上吉田で富士道場と呼ばれた時宗の西念寺(さいねんじ)がかかわる火祭りの起源伝承が残されています。
昔、西念寺の僧が信濃(しなの)の諏訪に修行に行って帰ってくるときに、木の枝を折って竜を作り、それを諏訪神社に祀り、竜を杖の頭に入れて燃やしたのが火祭りだといいます。また、昔、遊行上人(ゆぎょうしょうにん)が信濃の諏訪から吉田まで来る時に、諏訪明神が遊行上人について来たので、遊行上人は「吉田はよい所だから」と、諏訪明神を今の諏訪の森に置いて、藤沢(清浄光寺)へ行ってしまったという話です。
神道説では、諏訪大社の祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)であり、『古事記』上巻によれば、国譲りの力比べに負けた建御名方神は、科野国(しなののくに・信濃)洲羽海(すわのうみ・諏訪湖)追い込まれたというものです。そこで、建御名方神が戦をするときに、松明を燃やして戦ったので、その由来で火祭りを行うという説も上吉田ではいわれています。このことは、明治42年の中谷竹蔵『霊山富士』に、建御名方命すなわち諏訪神が、戦に敗れて敗走しこの地に至った時に土地の者に命じて無数の炬火を燃やさせたところ、寄せ手の軍はこれを援兵と見て囲いを解いて去った。これが7月21日の夜だったというと説かれています。
一方では、浅間神社に関連した火祭りの起源伝説が説かれました。
上吉田の浅間神社は富士山を神格化した浅間神を祀っていますが、神道説での祭神は木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)と説かれています。
『古事記』上巻の神話では、邇邇芸命(ににぎのみこと)との一夜の交わりで妊娠した木花開耶姫命は、邇邇芸命に疑われたので、身の証しをたてるために出入り口のない産屋をつくり室内を壁土で塗り込め、その産屋に火を放ち燃えさかる火中で、無事三人の子を産んだというものです。そのため、浅間神社の祭神の神徳(しんとく)は火伏(ひぶ)せ・安産・災厄除け・産業守護などといわれています。そこで、神道説で説く火祭の起源は、猛火の中で出産した木花開耶姫命の故事になぞらえて火を焚くのだといわれようになりました。現在、広く知られている起源伝説は、浅間神社の祭神と火祭との関係を説くこの伝説となっています。