吉田胎内樹型
吉田胎内樹型は、承平7年(937)の富士山噴火で流出した剣丸尾第1溶岩流の東縁にあり、吉田口登山道中ノ茶屋の北西約1,300mに位置します。総数62基の樹型が分布しますが、中でも代表的樹型である「本穴」が、「吉田胎内」と呼ばれ、信仰の対象とされてきました。本穴は、長さ14.5mある1本の横穴と3本の縦位の樹型から構成されます。横穴には、樹木の木肌が明瞭に保存され、天井には滴状に垂れ下がる溶岩鍾乳石があり、壁面は肋骨状を呈するとともに、底面には溶岩石筍がみられます。 明治25年(1892)に埼玉県入間郡宗岡(現、志木市)の富士講の先達である星野勘蔵により発見され、巡礼の場となりました。